明治にはいってからも遠賀川の洪水は数年ごとに繰り返されました。 一方で明治20年代以降になると、日本経済の発展に伴って、石炭の需要が高まっていくと、筑豊地方での石炭の生産も機械化が進み生産量も増加していきました。 そのため、石炭を輸送する手段もだんだん川船から鉄道へと切り替えられました。 ところが、いったん洪水が発生すると、鉄道施設や炭坑施設に莫大な被害をもたらしました。 明治38年7月の水害をきっかけに明治39年4月から直轄(国の工事)で工事を行うようになりました。 明治大正時代の遠賀川