今から約5000年前から遠賀川流域の人々は、遠く朝鮮半島の人々と交流をしていました。
曽畑式土器という縄文土器の仲間は、北九州を中心に分布しています。
一般的に見られる縄文ではなく、櫛で線を描いたような櫛目紋と言う得意な文様をつけ、粘土に滑石を混ぜ表面に光沢があるのが特徴です。
遠賀川下流の芦屋町山鹿貝塚、鞍手町新延貝塚、飯塚市鯰田遠賀川河床や英彦山川上流の添田町ズイベガ原遺跡などで発見されています。
この土器は、朝鮮半島の櫛目文土器を使っていた人々が海を渡って来たり、ものの交換などの交流活動により生まれた土器と考えられます。
また、九州地域の漁労文化も韓国の漁労文化と深い関係を持っています。
韓国の東南海岸部のイセキから結合式釣針が発見されて交流の様子が明らかになりました。
釣針の軸が鹿の角で、針が猪の牙で作られているのが特徴です。
のような釣り針は日本では西北九州型の結合式釣り針と言われていますが、西北九州に集中して分布しています。
最も古いものは、佐賀県唐津市菜畑遺跡から曽畑式土器と共に発見されており、遠賀川流域では芦屋町山鹿貝塚、鞍手町新延貝塚から出土しています。
この釣り針のは両地域の交流を物語ると考えられます。
さらに、黒曜石を用い鋸歯のような刃をもつ石鋸は縄文時代後期に出現しますが、芦屋町山鹿貝塚で発見されています。
西井北九州型の結合式釣り針の広がりとも一致しており、この石鋸も海峡を挟んで朝鮮半島と北九州の両岸に認められます。