遠賀川上流に広がる台地上には、土掘り具あるいは鍬として使用したと推定される、打製石斧が大量に発見された大きな集落跡があります。
北古賀遺跡は穂波川上流の嘉穂郡筑穂町にあり、約4000年から3000年前の縄文後・晩期の土器とともに、多くの磨製石斧・局部磨製石斧・打製石斧・石錘などが発見されています。
石錘は遠賀川で魚を取るために使用した網のおもりに用いたものです。
アミダ遺跡は遠賀川(嘉麻川)上流の嘉穂郡嘉穂町にあり、約4000年から3000年前の縄文時代後・晩期の土器とともに、石鏃・石匙・磨製石斧・打製石斧など大量の石器が発見されています。
竪穴住居跡20軒、土坑49基、埋甕11基など遠賀川流域では珍しい縄文時代の村の跡が発見されました。
さらに、英彦山川上流にあるズイベガ原遺跡は田川郡添田町大字津野に位置します。
ここは周防灘に注ぐ今川の水源ですが、英彦山の山頂近くに立地し標高が550m以上もあります。
約7000円から6000年前の縄文時代草・前期の土器と石鋸や石匙などが発見されています。 ここからも朝鮮半島との関係が深い曽畑式土器が発見されています。