6世紀も終わり頃、日本最初の仏教寺院である飛鳥寺が奈良県飛鳥に造られたことは、支配者が人々に権威を示す築造物古墳から寺院へと変化したことを象徴するできごとでした。
7世紀後半に火葬が渡来人に用いられ、8世紀に入ると皇室・僧・官人層など社会の上流階級に火葬の風習が広がっていきました。
古墳の築造により各首長が身分や権勢を誇った時代は終わりを告げ、飛鳥地方に出現した仏教文化はやがて全国に広がっていきました。
遠賀川流域に寺院が造られるのは7世紀末で、上流の嘉穂地方には筑穂町大分廃寺が、田川地方には天台寺(上伊田廃寺)が建立されました。
ともに、朝鮮半島の新羅系などが用いられており、渡来人とかかわりの深い寺院と考えられます。
遠賀川河口には芦屋町浜口廃寺と北九州市八幡西区北浦廃寺がありますが、8世紀中頃以降の鴻臚館式の大宰府系瓦が使用されていますN。
岡垣町墓之尾遺跡の瓦窯からは、朝鮮半島の新羅時代につくられた韓国慶州市の雁鴨池の鬼瓦と目、鼻、口にかけてよく似た鬼瓦が発見されています。
この瓦は日本国内において最古級の鬼瓦と考えられています。
このことは、朝鮮半島の新羅との関係が深かったことを物語っています。