(5)遠賀川流域の横穴墓


遠賀川流域は九州でも有数の横穴墓地帯です。

横穴墓は山の中腹の、主として古第三紀層の砂岩や礫層に横から穴を掘り込んで墓室を作った墓で、古墳時代後期の6世紀中ごろから7世紀前半にかけて多数築造されました。

遠賀川流域のおおむね全域に分布していますが、古第三紀層が発達していない犬鳴川上流域には認められません。この地域には横穴墓の代わりに旧来の横穴式石室を造り続けました。

横穴墓は下流域の仲間市周辺、上流域の飯塚市・稲築町・桂川町周辺、英彦山流域の田川市・大任町周辺に特に集中して分布しています。

この地域の横穴墓には墳丘を持つもの、内部に線刻や彩色による装飾を施したもの、羨道部(入り口)に石組を施したもの、複室(前室と後室)構造をとるものがあり、横穴式石室からの影響が強くうかがえます。

また、飯塚市菰田の池田横穴墓のように、圭頭大刀、椎頭大刀、壺鐙、金銅製馬具など、横穴式石室古墳の副葬品を越える豪華なものを持つ横穴墓もあり、注目されます。

こうした横穴に埋葬された人が当時どのような地位の人であったのかは、まだ、よくわかっていませんが、地位は低くても、交易や生産活動など特殊な才能や技術を持った人々だったかもしれません。