第一期改修工事以降石炭の石炭量は年々増えていきました。
そのため、採掘による地盤の沈下をはじめとして微粉炭という石炭の粉による水の汚れを引き起こしました。
地盤沈下とは、家や堤防や田畑が沈んでしまうことです。家が沈むと襖などが開かなくなったり、壊れたりします。田でも沈んで池になってしまうものがありました。
また、戦時中は堤防より30間(54m)以内の採掘禁止区域も守れなかったため、堤防が沈下したり、ひび割れたりするなどしてしまう状態でした。
水の汚れは昭和の初期から炭鉱で「水洗法」といって石炭と燃えない石であるボタを水の浮力により選別する方法が採られたことから始まったものです。
これによって、水洗後の水が流れ込む遠賀川は「黒い川、ぜんざい川」などと呼ばれるようになりました。
黒い水は水道には使えないうえに、田に入れると稲が育ちませんから流域の人々は大変苦労したのです。
堤防の沈下や微粉炭が川底に溜まり河床が上がるなどの原因により、昭和10年6月、昭和16年6月の大洪水の時には、大きな被害を引き起こしてしまいました。
しかし、第二次世界大戦に突入したため、ほとんどの河川の改修などは行われませんでした。