(4)遠賀川流域のの縄文人と弥生人

芦屋町山鹿貝塚から発掘された縄文人は後世の人々と異なった、特徴的な身体の形質を持っていました。

全体的にがっちりした、頬骨や顎のえらの張り出しが目立ち、眼球を収納する眼窩も四角くて低く、特に目の間の、眉間から鼻にかけての部分がかなり起伏に富んでいます。

つまり全体的に堀の深い顔立ちです。身長は低く、男性でも158~159センチ程度が平均ですが、前腕やすねの部分が比較的長く、胴は短くて足が長いプロポーションでした。

こうした縄文人が広く日本各地に住み着いていたところへ、弥生時代になると、それまで見られなかった、かなり異質な身体の形質を持った人々が住みつくようになりました。

立岩遺跡の甕棺の中から発見された弥生人もそうした人々です。

今のところ、その痕跡は北部九州や山口県の日本海沿岸部を中心とする地域で確認されています。

渡来系弥生人と呼ばれる彼らは、縄文人とは対照的に非常に面長で、眼窩の形も高くて丸く、また鼻根部の陥落や鼻骨の湾曲が弱い扁平性の強い顔面が特徴です。

身長も高く、男性の平均はおよそ163センチ、女性で151センチあり、胴長短足傾向が目立ちます。

立岩遺跡の34号甕棺から発見された男性人骨は身長が166.5㎝もあったと推定されています。

こうした縄文じんと弥生人との間に見られる形態的な差の原因については、生活文化の変化に影響された一種の進化現象と考えるか(小進化説)、それとも水稲耕作を初めとする大陸の新文化とともに渡来人もやってきて、彼らの遺伝的な影響が及んだ結果(渡来説)と考えるか議論が続けられてきました。

近年、それまで不明だった大陸で北部九州・山口地方の弥生人に強く類似する特色を持った古人骨が次々発見され、渡来説は急速に認められるようになってきました。