(4)歴史時代の移り変わり

原始河川であった頃の遠賀川は、大洪水のたびに流路が変動し、流下経路は不安定であったと想定されます。

この中でも、沖積地の広がる下流部での変遷が大きく、地形及び沼や沢の分布状況から、現在の新日鉄八幡用水堰付近から西側へ分れて西川に沿うルートがかってあったことが想定されています。

この分岐するところには小高い地形があり、下流部における河道変遷の1つの節になったと考えられます。

沿川平地部においては、大陸からの外来文化の移入もあって早くから農耕文化が開けていたと言われています。

大和朝廷以降には中央への年貢米の輸送、江戸時代には瀬戸内沿岸の製塩に使用する石炭の輸送に遠賀川が利用されていたようです、

この頃から、舟路を維持するための低水路の工事が行われており、明治39年から着手した第一期改修一工事によって今日見る堤防と低水路が形作られました 。